内田百音 美術インタビュー記事「水墨画壇に彗星現る」 |
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Q. | わずか2年の間に10回の連続受賞という快挙を遂げられて大変おめでとうございます。 |
A. |
はい。とても有り難い事だと感謝しています。この私にこれだけ純粋に評価を下さった水墨画壇の方々には心からの敬意と感謝を表したいと思います。 |
Q. | まるで「夢」の再見の様な絵ですね? |
A. |
はい。よくそう言われます。私の場合「夢」ではなくて「思考」の再見と言えるのではないでしょうか。私はもともと、深く内省する習慣があり、又、子供の頃から「淋しさとか悲しさ」とかの他者のマイナスの感情を受け取り易い性質があります。 ですから、いじめられている子がいると、その子の心が気になってずっとそばに居る様な子供でした。それは大人になっても変わらず、今の日本の世相から来る病んだ現代人の心に敏感なのだと思います。この私の性質と内的な世界が発想に結びつき作品に具現化されて来るのだと思います。 |
Q. | 霊的な作品だと言われませんか? |
A. |
霊的と言って下さる方もあれば、絵の中に何か潜んでいる様で震感させられると言われる事もあります。私自身、意図した事はありません。 戦後日本は利潤、功利主義による経済発展を遂げましたがその影で心を病む人がとても増えて来ています。いじめ、ひきこもり、リストラ、うつ病、自殺、老人の孤独・・・などです。私はそれをとても悲しく感じているのです。ただそれだけです。 霊性とは、芸術家の感性である五感を高度に磨いた上に得られる神仏に近づく神秘的な感性(六感)を言うのでないでしょうか。それは私にとっては永遠に追求すべき深遠なる精神の真理の世界なのです。 |
Q. | 作品における個性や独創性には何が必要でしょうか? |
A. |
基礎技法や伝統技法の修得は、勿論重要だと思いますが、そこにとどまる事なく試作を重ねながら自分なりの表現法を見つけていく事でしょう。 伝統や常識の型を作ったのは人であるのですから、それを越え開拓し破壊するのも人であって良いのです。ただ伝統を軽んじるのでなく、充分に古典の持つ厚味を目と筆と心で謙虚に学ぶ事です。それは私にとっても大きな課題ですけれど・・・。 また、人には、それぞれに得意な分野がありますから、それをその人なりに見極めて作品に折り込む事が出来れば個性が更に鮮明化されて特徴化されていくのではないでしょうか。 私の場合は3才からの毛筆訓練で自分の線質と形体を厳しく見つめる姿勢が訓練されていて今はそれが絵に大きくプラスになっている様です。ですから、これまでご指導下さった書道や絵画の先生方や私の両親にはとても感謝しているのです。又、音楽とさまざまな書物(心理、宗教、精神世界)からの影響も多大でこれらの教えが心の泉から自然に洩き上る様にしてイメージが出来上る様です。 |
Q. | 「時代の影」シリーズの理念について聞かせて下さい。 |
A. |
日本は戦後、利益、能力至上主義に走り、物質的には豊かになりました。 しかしこの合理的で生産制の高い社会の中で、人は自分をも表面的画一的価値判断で他と比較し位置づけてしまう様になりました。そこで人は人との本来あるべき命の交流を果せずにもがき苦しんでいるのです。 特にバブルが崩壊してからは、たくさんのうつ病者や自殺者が続出し、弱者は片隅に追いやられていきます。人は物ではないのです。自分をありのままに愛すれば良い。欠点は欠点として丸ごと自分を愛すれば良いのです。豊かな精神の静寂に今、耳を傾ける時が来ているのではないでしょうか。 救いとは、祈りや信念を培う自己内省の中にあり。癒しとは人とのつながりの中での心の居場所の中にあります。それは、自分の存在をありのままそのままに認めてもらえるという精神的な心の居場所です。 学力や能力で人を評価するのでなく優しさ、柔軟性、謙虚さなど、人それぞれに持つ面をそのままに認める器が人それぞれに必要でまた老人には老人なりの人生の重みがあり、それをありのままに尊重するという事です。生きる喜びですとか、意義、生命の尊厳について思想的、哲学的に日本はこれから子供の教育面から見直す必要があります。 私は宗教者ではありません。ですから人生を語る資格もなければ、何かを人に押しつけるつもりもありませんけれど、多くの病める人の心にあたたかな光が注がれる事を心から願いながら、自分自身にも希望と魂の輝きを胸に前進していけるようこれからも制作を続けて行きたいと願っています。 |